1月20日 説教要旨
神の救いの働き マタイによる福音書 21:1〜16
 パレスチナ地方のブドウの収穫は9月ごろで、10月は雨期が始まるのでブド
ウの収樺は急がれた。実際聖書のようにブドウ園の主人は朝も昼も働き人を求め
た。しかし、この主人は賃金を払うのに夕方5時に来た人にも朝から働いた人に
も同じ1デナリオンを支払ったので、朝6時から働いた人々は主人に文句を言っ
て「1時間しか働かなかった連中と朝から働いた私たちを同じ扱いをするとは」
と非難した。ところが主人は「あなた方とは一日1デナリオンの約束をした。不
当なことはしていない。私はこの最後の者にもあなたと同じように払ってやりた
いのだ。」と答えたという。この世の論理では労働の時間や成果によって賃金が
支払われる。しかし、「天の国においては」そうではないとイエスは言われる。
このブドウ園の話をある人は洗礼を受けた年代として語った。幼い時から、青年
時代から、壮年時代に、そして最後の人は後期高齢者になってからと。神様は沢
山働いた人にも、少ししか働けなかった人にも同じように救いの豊かな恵みに与
らせてくださろうとして居られるのだと。一昨年54歳で死んだ教え子に病床洗
礼を授けた。彼が洗礼を受けて心から感謝し、喜ぶ姿を見て、「この最後の者に
も同じように払ってやりたい」と言われた神の深い愛を思った。愛は真実なもの
であればあるほど、成果に応じて与えられるものではなく、その人の必要に応じ
て与えられるものではないのか。赤ん坊と高校生では、より多く愛を必要とする
のは赤ん坊のように‥‥。罪びとを招く方として神様がイエス・キリストを
贈られたのも・・・・
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