<説教要録>   闇に勝つために ヨハネによる福音書13章21−30節
ミラノの修道院に描かれているレオナルドダヴインチの壁画「最後の晩餐」は、過越しの祭
りの前日に主イエスが12弟子と食事をされた場面です。物語のポイントは二つ。一つは
「主イエスは、ユダが裏切ることを知っておられたにもかかわらず、なぜ止めようとされ
なかったのか」、二つ目は「ユダはなぜ主イエスを裏切ったのか」と言うことです。ユダは
会計を任されるほどに、信頼されている弟子です。祭りの時に必要なものを買ったり、貧
しい人々に施しをすることは特別なことではありませんでした。「はっきり言っておく。
あなた方の一人が、わたしを裏切ろうとしている」主イエスは、心を騒がせつつ、厳しい
目で見据えておられる。主イエスは、ユダの心を無理やりにご自分の方に引き寄せること
をなさいません。ユダが道具として扱われてしまうからです。ユダの自由を重んじられた。
神の愛を貫かれたのです。「しようとすることを、今すぐしなさい」そして愛するユダが暗
い闇に取り込まれていくことに、憤りと深い悲しみをもたれたのです。ユダはなぜ裏切っ
たのか。ユダは主イエスを祭司長や律法学者達に銀貨30枚で引渡し、神に一番近いとされ
ているその人々がローマ人に引き渡す役をかっている。どういうことでしょう。 私たち
は、教会の礼拝奉仕に一生懸命働く。自分こそ神を愛し、主イエスを愛していると思って
しまう。そして、「礼拝を守る」とか「集会を守る」などと言ってしまう。私たちが神様に担
われていることを忘れてしまう。ユダはなぜ裏切ったのか。<イエスを愛したからです。
愛さない者は裏切らない>このようにユダは言うのではないでしょうか。しかし、このこ
とについては、福音書は何も語っていません。ユダは絶望して、伝承によれば自らの命を
絶ってしまった。ここに、人間としての真実があるかのように見るかも知れないが、闇の
世界に取り込まれていくことに気付かない私たちを、悲しまれ、憤られている主イエスの
姿がそこにある。兄弟姉妹が互いに信頼し、愛し合う教会の中に、暗い闇の世界が忍び込
んでこないとは限らない。主イエスは言われます。「わたしを信じるものが、だれも暗闇
の中に留まることがないように、わたしは光として世に来た」(ヨハネ12:46)わた
し達はこの光の中に立ち、共に光の中に立ち続けて参りましょう。(今井師)
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