<5月19日説教要旨>ヨハネによる福音書21章1〜14節
 夕闇のせまるテベリアス湖の湖畔に疲れきった7人の男の影があった。主イ
エスの十字架刑が自分達にも及ぶことを恐れた彼らは、シモンペテロ、トマス、、
カナのナタナエル、ゼベダイの子ヤコブとヨハネ名の分からない2名の7人で
あった。彼らは、エルサレムから徒歩で200キロの距離を、故郷ガリラヤに逃
れてきたのであった。十字架上の主イエスを見捨てての逃走であっキ。しかし、
ペテロはただ一人、闇に紛れて主イ土スの姿を追った。だが、このペテロも、鶏
の鳴く前に三度、主イエスを知らないと言い切った。そして、逃げた。ティベリ
アス湖に辿りついた彼らであった。夕闇せまる湖畔立つ彼ら。ペテロは一人つ
ぶやく。「わたしは漁に行く」。他のみんなも「わたし達もー緒に行こう」という。
彼らには、かっての生業であった漁に出て、網を打つことしか思いつかなかった
のである。メシア、王として立ってくださることを期待し、全てを投げ打って従
つできた主イエスが、十字架刑で殺されてしまった。もう絶望です。夜の漁でい
くら網を投げても、魚は一匹もかからない。彼らには、ただただむなしく網を打
つしかなかった。漁の舟は岸から90メートルほどのところであづた。
 東の空があける頃、湖畔に復活の主イエスの姿があった。しかし、彼らには
認められない。200キロ先のエルサレムで十字架刑で死んだ主イエスがそこにい
るなどと、誰一人思うことなど出来なかったでしょう。主イエスは言います。
「何か食べるものはないか」舟から応えます。「ありません」さらに主イエスは
言われます。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば取れるはずだ」それを聞
いた弟子の一人が「主だ」と叫んだ。ペテロもまた、かっての自分の姿に気付い
た。岸に上がってみると、そこには炭火が起こしてあり、魚とパンが用意してあ
った。主イエスは言われます。「さあ、きて、朝の食事をしなさい」。彼らは皆
主だとわかっていた。彼らは万感の思いであった。主イエスを裏切ったわたし達
は復活の主、蘇りの主に赦されている。安堵感と深い愛の中に招き入れられてい
る喜びが溢れる。
 かって、主イエスは、ここガリラヤから神の国の福音宣教を開始された、そ
して、21章において、復活の主イエス・キリストは、再びこのガリラヤで弟子
達を、神の愛の伝道者として立てるよう、導いておられる。主イイエスの弟子で
ある私達クリスチャンもまた導かれている。たとえ、その道が険しく、再び主イ
エスを裏切ることがあったとしても、炭火を串こし、魚とパンを用意してくださ
る復活の主イエス・キリストがおられる。そこに神の赦しと永遠の愛がある。
(今井 浩三伝道師)
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