〈9/1説教要約〉「キリスト者として苦しみを受ける」(一ペテロ4:12−19)
 この手紙はキリスト教の迫害の時代に、信徒たちの信仰を励まし、慰め、力づけ
るために書かれました。紀元64年のローマ大火を皇帝ネロがキリスト教徒の仕業
とでっち上げ、キリスト教徒を殺害や虐殺した時からキリスト教はユダヤ教(ロー
マの認可宗教)とは違う一派とされ、禁教宗教とされ、犯罪を犯したからではなく
唯キリスト教徒であるだけで迫害を受けることになりました。そういう時にペトロ
が語ったこの箇所は驚くべき言葉であります。彼は「迫害を受けることとなったと
しても、どうしたことであろうかと驚いたり、怪しんではなりません」「迫害に
会い、苦しみを受ける時は喜びなさい。それは来キリストの栄光が現れる時に喜
びに満たされるからです。栄光の霊、すなわち神の霊があなた方の上にとどまっ
て下さるのです」そして、この驚くべき励ましの言葉は実は主イエスがマタイ5:11
ー12で語られた言葉で、初代教会の使徒たちも体験したこと(使徒言行録5:40−41
でありました。聖霊により、キリストの苦しみに預る生き方に与えられる上からの
喜びに生かされるものとなりなさいというのです。
今日の日本ではキリスト者であるだけで迫害を受けるということはほとんどな
いですが、「キリストの苦しみに預る生き方」というのはあります。そのことをお話
しして、ペトロの言わんとする「キリストの苦しみに預ることを喜ぶ」ということ
をお話します。原市におりました時、知的障害を抱えた娘さんの父親で半田義男さ
んという方がおりました。娘さんがクリスチャンになられてから求道され、ご自分
も洗礼を受けられました。娘さんが中学を卒業してから安中教会の高橋先生と知的
障碍者のための福祉作業所を立ち上げるのに努力されました。しかし、やっと作業
所が立ち上がって数年後に高橋先生がお亡くなりになってから、半田さんは作業所
の所長になって下さる方を一生懸命探し、お願いしましたが誰も引き受けてくださ
いませんでした。当時、彼は安中の大きなお菓子問屋の専務をしていましたが、
55歳の時、それを止めてご自分が所長を引き受ける決心をされました。当時の安中
市の福祉作業所所長の手当ては市役所の職員の3分の1で社会保険も何もない状
況でしたから家族は全員反対しました。しかし彼は「自分に障害を持った子供が与
えられたのは、このような子供たちのために働くようにとの神様のみ旨と思う。将
来は福祉作業所を社会福祉法人にして、より良いケアが出来るようにこの仕事に献
身する。」と。わたしは、彼の決心に感動しました。それから彼は本当に真心を込
めてその働きを担い、親身になって子供たちやその家庭の抱えている問題にまで関
わり、社会福祉法人化へ向けて努力されました。私たちも彼の献身とその願いの実
現に協力すべく、「安中あけぼの会」という後援会を作り、支えることとなりまし
た。彼はそういう生き方で今日の時代で「キリストの苦しみに預る」生き方をし、
そのことを喜びとした人だったと思います。
(村田 元牧師)一紙面の関係で1部省略− 礼拝内容のページに戻る
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