<10/6 説教要録> 「あらゆる恵みの源である神」
                 ベトロの手紙一5章8〜14節

 ペトロは主イエスの弟子を代表するような弟子でありましたが、イエスの生き
ておられる時には失敗も多い弟子でした。今日の聖書の冒頭で「身を慎んで目を
覚ましていなさい」と言う勧告も、実はゲッセマネで主イエスが祈っておられる
ときにべトロたちに語られた青葉でした。(マタイ福音書26章36節以下)主は
「この杯を取り去って下さい。しかし、私の願い通りでなく御心のままに」と三
度も祈られて悪魔の誘惑に打ち勝ち、十字架への道を歩まれました。しかし、ペ
トロたちは目を覚ましていることが出来ず、3度とも眠りこけてしまったのでし
た。そのぺトロが今迫害の中で悪魔がキリスト着たちを試練に合わせているとき
勧めたのが「かってのわたしのようにならないように、身を慎んで目を覚まして
祈っていなさい。悪魔の誘惑に抵抗するには信仰にしっかりとどまり、祈ってい
る生活が必要です。私はそのことを身をもって体験しているのです」と勧めてい
ます。
 再びベトロは9節の後半でキリスト者として苦しみに会うことを語ります。実
はキリスト者の苦しみがキリストの苦しみに預る苦しみならば、それはまたキリ
ストの喜びに与る苦しみなのです。何故なら、神への信仰に生きる人々の歩みは
いつも神が心にかけ、あらゆる恵みに源である神が苦しんだあなたがたを、完全
なものとし、強め、力づけ、揺らぐことのないようにして下さるからです。
 原市教会時代に私と同じ年の姉妹が65歳の時難病で天に召されていきまし
た。それまで病気らしい病気をしたことのないほど丈夫で元気な方でしたから随
分と辛い闘病生活であったと思います。しかし、亡くなる3日前に病室を訪ねま
すと、祈りの後で姉妹が「先生、私は今負け惜しみではなくこの病気になったこ
とを感謝しています。この病気になってこれまで見えていなかった神さまの計り
知れない愛と救いの恵みが見えるようになったからです。私の葬式の時はペトロ
の手紙一5章10節を読んでください。私の信仰告白です。」と言われました。
今、苦難の中に身を置かれているお一人おひとりに、この10節を「あらゆる恵み
の源である神」を身をもって知られた方の言葉としてお伝えしたいと思います。
(村田元牧師) 礼拝内容のページに戻る>
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