<10/13説教要録> 「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」
              ルカによる福音書5章27節〜39節
 レビと言う徴税人は、ローマ帝国の下役として、ユダヤ人から規定以上の税金
を取り立てて、私服を肥やしてしいたために、また、当時は階級社会であり、徴
税人は、娼婦や異邦人と同じように蔑視されていました。主イエスの言葉に従っ
て、自分の罪を俄悔し、主イエスをお招きし、大宴会を行ったのであるが、ファ
リサイ派や律法学者は、招かれて共に飲み食いをしていた主イエスに向かって、
「なぜ、あなた達は、徴税人や罪人などと、一緒に飲んだり、食べたりするのか。
不真面目ではないか。」と迫ったのです。
主イエスは言われました。「花婿が来ているのに、また、罪人が罪を俄悔し、主
イエスをお招きしているのに、喜びを表すのは当然ではないか。まして、断食を
する必要などはないではないか。」と言われたのです。古い、律法の時代は終わ
り、主イエスによる福音、喜びの時がもたらされたのです。
 9月の秋分の日ころになりますと、教会の向かいにありますお堂の庭に、真っ
赤な彼岸花が咲きます。彼岸花は縄文時代晩期に、中国大陸からもたらされた稲
作と同じ時期に、大陸から、食用としてもたらされましたが、日本に仏教が伝来
した後、お彼岸の頃に咲く花として、彼岸花と呼ばれたようです。
 徳川幕府の時代に、キリシタンの痕跡をなくすという政策をとった幕府は仏教
の檀家制度や、現在の戸籍のような人別帳制度を用いて、キリシタンを厳しく取
り締まったのです。現在もそのような仏教の影響もあってか、日本には仏教的な
習慣や風習が根強く残っています。わたし達は、クリスチャンとして、そのよう
な仏教的な、または神道的な行事や風習に組み込まれてしまう。クリスチャンと
しては、その立場に思い悩むことになります。
 亀谷凌雲牧師は、仏教から、キリストに捕らえられクリスチャンになり、故
郷、富山に教会も建てました。新しいぶどう酒には新しい革袋である教会が必要
であったのでしょう。わたし達もまた、家族や親族や友人の葬儀の時には、仏教
式の葬儀に出席しなくてはならないことが多い。クリスチャンとして複雑な思い
ではないでしょうか。亀谷牧師は、「キリストは天の神の光であり、福音の源で
ある」「主イエスキリストは世界中を救うために、あの十字架で死なれた愛は、
文字通りの真実である」と、住職になる道を捨てて、牧師になった。わたし達に
は、亀谷牧師のように振舞うことは難しいが、主イエスの十字架の確かさに立つ
ならば、家族や、親族や友人の悲しみに寄り添うことが出来るのではないでしょ−
うか。十字架の出来事は、人間が考え出したものでも、人間がつくった物でもあ
りません。神の愛であります。そして、この日本と言う中においては、この主の
体なる教会こそが、私たちの救いの拠り所であります。(今井浩三伝道師) inserted by FC2 system