説教要録(10月27日) 良い羊飼いである主
聖書 詩編23編1〜6節 ヨハネによる福音書10章11〜16節
 詩編23篇は主の祈りの次に多くの人々に親しまれている聖書の箇所といわれています。
旧約の民イスラエルはもともと遊牧民族でしたから、神様を羊飼い、自分たちを羊である
と表現することがなじみやすかったのでしょう。この詩人ダビデも少年のころ羊飼いであ
りました。
 23編で詩人は「主は羊飼い わたしには何も欠けることがない」と歌います。主は私の
必要をすべてご存知で、満たし、支えてくださるので私は何も欠けることがない。主は私
を良い羊飼いとしてみどり野に伏させ、いこいの水のほとりに休ませて下さるので、私の
魂は生き返り、元気を取り戻し、喜びにあふれさせてくださる。また、道を迷いやすい羊
である私を正しい道へと導いて下さるので、私は迷うことがない。と歌います。
 更に、たとえ私が死の影の谷を行くときでさえ禍を恐れません。あなたが私と共におら
れるからです。何故なら、あなたは鞭をもって私を襲う悪い者、野獣から私を守って下さ
り、あなたの杖で穴へ落ちた私を助け引き上げてくださるからです。いまや、詩人は羊飼
いである主を2人称の「あなた」と呼ぶほど近い方と感じています。
 5節からは主は羊飼いの天幕の主として詩人を迎えてくださる方として神を歌っていま
す。遊牧民は自分の天幕に迎えた客をもてなすだけでなく敵からも迎えた客を最後まで守
り通すのです。いまや、詩人は敵から追われる身となって主の天幕に身を寄せます。主は
彼を迎え、敵が天幕の入り口で待ち構えているときでも敵から詩人を守り、豊かなもてな
しをもって詩人を歓待して下さるので、詩人は敵の前に身を置きながら、主の守りと祝福
のもとに安心しておられるのです。
 神が私に対してこのような方であるので、神が良い羊飼いとなって下さる私の人生には
神の恵みと慈しみがいっも私を追いかけるようにされます。ですから私はいつも神を礼拝
する者として、この神との交わりの中に永遠に留まりたいと厳うほどです。と歌います。
 ダビデの信仰があふれ出てくるような信仰告白の歌です。
 この詩編23編で歌われる羊飼いである神への信仰告白は、キリストを救い主と信じる
人々にとっては、ヨハネの福音書にあるように、羊のために命を捨てる良い羊飼いとして
自らを示されたイエス・キリストを思い出させる歌です。私たちは詩篇23篇をとおして、
真の良い羊飼いとなって下さったイエス・キリストへの告白としてこの詩編を受け止めな
おすことが出来ます。
 かつて、教団議長であった鈴木正久先生は議長時代に末期の癌だあることを知らされた
時、「しばらく呆然とした」そうですが、その後我に返って「一生懸命に祈った」後、「天
から注いでいただく不思議な力を受けて大きな平安を与えられた」と語り、「苦難に会うキ
リスト者に対して死の陰の谷を歩むときも主が共にいてくださるということはこういうこ
とである」と教会員の方々にテープをとおして語られたということです。
 私たちも良い羊飼いである主が共にいてくださる恵みを感謝したいと思います。
                            村田 元 牧師 礼拝内容のページに戻る>
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