<11/10説教要旨>
 皆さんのお持ちの聖書は、およそ3分の2が、旧約聖書で、3分の1が新約聖
書となっています。旧約聖書は、大まかに申しますと、神様とユダヤ民族(イス
ラエル)と神様との関係が書かれています。ユダヤ民族の祖、アブラハムは当時た
くさんの偶像礼拝がはびこっている中から、目に見ることの出来ない唯一の神様
を信じるのです。奇跡的です。そこで、神様はアブラハムとその子孫が繁栄する
ことを約束するのです。旧約聖書は、このユダヤ民族の苦難の歴史が書かれてい
て、預言者はこの苦難の民族を救ってくださるメシヤ、救い主が必ず現れるとい
う希望を持ち続けるのです。そして、その救い主メシヤである、イエス・キリスト
が神様によってこの世へと遣わされます。しかしその救い主はユダヤ民族だけの
救い主ではなく、全世界の人々の救い主として、わたしたちの所に誕生されるので
す。それがクリスマスです。このイエス様の誕生以後のことが書かれているのが
新約聖書ということになります。しかし、ユダヤ人には、イエス・キリストが全世
界の人々の救い主であるということを信じることが出来ませんでした。
 ユダヤ人は、十戒を始め、律法を守ることよって永遠の命こ与れると固く信じ
ていました。ですから、主イエスやその弟子達にも、そのことを厳しく強要する
のです。ファリサイ派や律法学者たちは、麦畑で麦の穂を摘むことは、刈り入れ
の労働。手でもむことは、脱穀の労働として、安息日違反であると追及するので
す。また、安息日の礼拝において、手のなえた人を癒した主イエスの行為は、医
療行為として、安息日違反であると追及し、主イエスをどのように殺そうかと相
談を始めるのです。法的に、合法的に主イエスを、死刑に処すことをたくらむの
です。「安息日に善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか。滅ぼすこ
とか。」と主イエスは言われます。<友のために自分の命を捨てること、これ以
上に大きな愛はない。>主イエスは自ら十字架へと進まれていきます。それは、
罪深い人間に対する、主イエスの愛の実践であります。
 安息日とは、「六日の間働いて、七日目には、あなたの神である主の安息日で
あるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴
隷も、家畜も、あなたの門の中に寄留する人々も同様である。」
このように書かれています。今日この日は、主が復活された、新たな命の日であ
る主の日、そして、主と共に全てのものが休まれた安息の日であります。私たち
はこの、喜びの日を、賛美と祈りをもって礼拝しつつ、感謝の祈りをささげて
参りましょう。(今井浩三伝道師)
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