12月1日(日)説教要録「世が救われるために」ヨハネ福音書3章16〜18節
 アドベント第一聖日にあたって本日与えられた聖書「神はその独り子をお与えになった
ほどこの世を愛された」より、主の御降誕において現わされました神の愛について学びた
いと思います。
 親にとって子どもの存在はかけがえのないものであります。旧約のダビデ王は自分に謀
反を起こして王位を奪った息子アブサロムとの戦いにおいて出陣する自軍の将軍たちに
「アブサロムを手荒に扱わないように」と依頼し、この戦いでアブサロムが戦死した時に
は、人目をはばからずに「わが子アブサロムよ、わが子よ、私がお前の代わりに死ねばよ
かった」と嘆いたと言います。自分に逆らった子供の命ためでさえこのように嘆くのが親
心であります。
 愛である神が「その独り子」をお与えになる、失うのでなく、自ら進んでお与えになる、
ということが‥ ‥しかも、神に逆らう傾向のある世のためにお与えになるということ
が、どれほどに大きな痛みを伴う愛であったことでありましょう。
 マザーテレサが「愛は痛みを伴うものです。痛みのない愛は愛ではありません。」と語
っておりますが、この神の愛こそ痛みを伴う愛の極致であると言えます。
 神は何故そこまでして世を愛されたのか。それは、御子によって世が救われるためであ
りました。それは、御子の十字架の贖いの死によって現わされた神の愛を信じる全ての人
の罪を赦し、一人も滅びないで永遠の命に生きる者とされるためでした。
 そして、クリスマスは御子が世に与えられた日、神のこの上ない痛みを伴う世への愛が
現れた日なのであります。
 この時にあたってもう一つの事も覚えておきたいと思います。御子を世に与えられたの
は御子によって世が救われるためでありました。ですから、御子を信じる者は裁かれない
で救いに与る者とされるのです。しかし、御子を信じない者は、御子の命をも惜しまずお
与えくださった神の愛を拒否することになるわけですから、そのことが彼にとって裁きに
なるということです。
 主イエスは、疑い迷うトマスに「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と
語りかけられました。このクリスマスを迎えるにあたりまして、改めて、主の招きの言葉
に深く聞き、「わが主よ、わが神よ」と心からお答えする者とされてまいりたいと思います。
                             村田 元 牧師

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