2020・3・8 群馬町教会礼拝説教 要旨   「愛の波紋」

 今日の学びは、18章の罪と赦しについてです。それが私たちの生活の中において、どのように具体化するか、
実現するかといことです。ペテロは主イエスに質問します。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、何回
赦すべきでしょうか。七回までですか。」主イエスは、罪について、罪を犯した者は赦されなければならない、と
語られてきました。私たちは罪と聞けば、自分が他者に対してどんな罪を犯しただだろうか、また誰かが自分に対
して犯した罪について考えるのではないでしょうか。「主よ、兄弟がわたしに対して罪をおかしたなら‥」私た
ちは、自分の犯してきた罪はさておき、自分に対する罪を中心に考えてしまう。
 この当時のラビ(教師)は、「まず、三回まで赦してやりなさい」と教えたようです。三は完全数であり、聖な
る数です。しかし、我慢の限度があります。四回目になると、そこまでの寛容は必要ないと言うことになります。
ペテロは言います。「七回までですか」七も完全数、完壁な赦しになると言うことです。しかし、主イエスは「わ
たしは、七回までとは言わない。七を七十倍するまでにしなさい」こう、答えられました。創世記4章24節に、
<カインのための復讐が七倍ならば、レメタのための復讐は七十七倍>と言う青葉が出てきます。弟アペルを殺し
たカインのための復讐が七倍ならば、レメクのために七十七倍、わたしには復讐する権利があると言っています。
人間はアダムとエバによって犯した罪は、カインやレメクに受け継がれ、その子孫である、私たちに受け継がれて
いるのです。人類の中に<復讐>という思いが始まったのです。
 私たちは、たくさんの人の中においては、何となく気の合う人がいれば、逆に、何となく避けたい人もいるでし
よう。まして、家族や、恋人が殺されたりしてしまえば、復讐を考えたりするのではないでしょうか。恐ろしい心
です。私たちは、自分がだれかに犯す罪は、特に神に対する罪は実に鈍感ですが、自分にふりかかる罪については
敏感です。恨みが募るのです。
 王様に対して1万タラントンの負債のある者が、あまりにもその負債が高額で、返せない。そこで、ひれ伏して、
猶予をいただきたいと懇願します。すると、王は、驚いたことに、高額な負債を免除したのです。この簾は喜んで
退席します。その途中で、自分に100デナリオンの借金をしている仲間に出合い、「金を返せ」と迫り、返せな
い仲間を牢獄に入れてしまうのです。この話を聞いた王は、激怒してこの僕を牢役人に引き渡すのです。この多額
の借金をした僕の鈍感さ、自分の罪に対する鈍感さです。
 主イエスは言われます。本当に大切なことは、あなたが神に対して、実に大きな罪を負っていると言うことを知
つているか。それを忘れてはならない。
 少し目をつぶって、水の澄んだ、波の立たない、静かな池を思い描いてください。その他の真ん中に石がぼちや
んと落ちると、自然に波紋が広がっていきます。大きな罪を許されたら、自分に対する小さな罪を許すことは当然
です。ところが、わずか100デナリオンのために、自分が傷つくことを恐れて、仲間を苦しめてしまいました。
愛の波紋は、そこで崩れてしまうのです。
 私たちは、主イエスキリストの十字架という痛みによって赦されています。主イエスは自ら十字架を負って、他
に大きな愛の波紋を引き起こされました。主イエスは、本気でこのことについて、命を棄てられ、私たちはそのこ
とによって、生かされています。主の祈りに、<我らに罪を犯す者を、我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したま
え>とあります。池の波紋が広がるように、イエス・キリストによって引き起こされた神の愛の波紋は、人々の心の
中にそして、世界の果てまで広がっていきます。私たちもまた、このことによって心の平安を得、安心して人を赦
すことができるのです。私たちの心の中で、神の愛の波紋を留めてしまうことがありませんように。そして、この
愛の波紋が、私たちの心に、世界の人々の心の中に、限りなく広がりますように。共に心から祈りましょう。

                          伝道師 今井浩三
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