<3月29日(日)説教要旨> r喪失の時代に生きるJマタイによる福音書25章14節〜30節
 わたしが教会の青年会に属していました当時の、青年会研修会のスローガンは、「生きる」と
か「生涯」など、苦難の中にあっても、生きる意味を求めようする思いがあったように思います。
現代に生きる私たちは、それとは違って、未来に希望を措くことが出来ない、不安感の中に生き
てはいないでしょうか。自分の生きる意味がどこにあるのか問わずにはいられない。不安定な
経済の中で、うっかりすれば貧困者に陥ってしまう。政治の腐敗。若者は給与が低くて、結婚も
不安である。経済格差はますます広がります。現代は、夢や希望を剥奪された喪失の時代にあ
ると言っても良いのではないでしょうか。私たちはそうした中で、生き生きと生きたいと思う問い
を出しつつも自分の気に入った答えしか求めようとしない。
このタラントンの話は、三人の僕と主人が登場します。僕とは奴隷とも訳せますが、旅に出よ
うとする主人はこの三人を、単なる僕ではなく、自分の財産の全てを、まかせ、委ねられる信頼
できる僕と見ているのです。5タラントン委ねられた僕は、5タラントン儲けました。2タラントン委
ねられた僕も2タラントン儲けました。帰ってきた主人は、ニ人を「良い忠実な僕である」と喜びました。
 タラントンとは、神様から委ねられた才能であり、使命、課題、宝物であります。1タラントン委
ねられた第三の男は自分には、1タラントンしか委ねられない男と感じたのでしょうか、土の中に
埋めてしまいました。埋めると言うことは神から委ねられた、<使命・課題・宝物>つまり、自分
の生きる意味を埋めてしまったのです。神からの怒りをかうのは当然であります。この1タラント
ンを委ねられた男は、<自分以外の、もっと優れた自分>になりたかったのではないでしょう
か。ありのままの自分を殺してしまったのです。しかし、この1タラントンの男にも、せっせと働い
て欲しかった。神は励ましておられた。主人の喜びの中に迎え入れたかったのです。ここに、主
人の本当の姿があります。
十字架は悲しみで最後とするのではなく、愛の喜びへと担い、誘ってくださるものであります。
                         伝道師 今井浩三
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